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文楽

2018.07.24

文楽
日本の伝統芸能のひとつとして知られる文楽。太夫、三味線、人形遣いの3つの異なる演芸がそれぞれ組み合わさることで「これぞ日本の伝統」ともいうべき素晴らしいショーへと昇華していきます。ここでは江戸時代から行われていたという日本古来のエンターテイメントの歴史や見どころ、鑑賞スポットなどをご紹介します。

文楽とは何?定義は?

文楽とは何?定義は?
「文楽」は2003年にユネスコ無形文化遺産に指定された日本が誇る伝統芸能です。

文楽とは正しくは「人形浄瑠璃文楽」のことを指します。主に男性が演じる演芸で、その役は太夫、三味線、そして人形遣いの3役に分類されます。この三位一体のハーモニーが文楽の特徴ですが、それぞれの役割は大きく異なります。

まずは太夫。文楽の物語を語る役で、正式には「浄瑠璃語り」と呼ばれます。情景描写や登場人物をお客さんたちにわかりやすく語り、話の概要を伝えるのが主な役目。稀に複数で行う場合がありますが、基本的には1つの演目で1人の太夫が物語を語ります。物語の進行や登場人物の描写など、物語の核にあたる部分を語っていくキーパーソンです。

太夫は自らの声の工夫と三味線だけで物語を進め、たった1人ですべての登場人物を演じ分けるのですから、高度な技術が要求されます。太夫の語りは登場人物のセリフになる「詞(ことば)」と「地合(じあい)」と呼ばれる情景を描写する語り、さらに三味線とともに歌う「節(ふし)」の3つをベースに成り立っています。

そんな太夫を支えるのが「床本」と呼ばれる台本。戯曲や語り方を筆で書き写したもので、これを読みながら進行していきますが、たとえ同じ床本でも太夫の技量によっては同じ話でも全く違うものになってしまいます。

ちなみに文楽の演目に入る前、太夫は床本を必ず目の高さに掲げてから行います。古くから伝わってきた言葉や語りの先人の技への敬意を表して、このルーティーンを行っています。鑑賞時にはこうしたことにも注目してみてください。

そんな太夫とともに物語を盛り上げるのに欠かせないのが三味線。三味線はリュートのような日本古来の弦楽器です。四角く扁平な木製の胴の両面に皮を張り、胴を貫通して伸びる棹に張られた弦を銀杏の葉っぱのような形のバチを使って演奏します。義太夫節には「太棹」と呼ばれる棹が太いタイプの三味線が用いられることがほとんど。

太棹の三味線は低く太い音が響くのが特徴で、これで旋律を奏でたり、リズムを刻んだりすることで物語を盛り上げていきます。弦楽器ながら、その演奏方法は打楽器のような面もあります。

身を乗り出して力を込めて語る太夫と比べると、三味線はほとんど動くことはありません。まっすぐ前を向いて、表情はポーカーフェイスのまま。しかし、三味線はその場その場の情景や登場人物の心の動きをとらえ、様々な技法を用いて演奏し、その様子をありありと描き出していきます。

そんな三味線ですが、実は物語をリードしている太夫を盛り立てたり、時に引っ張ったりするなどパートナーとしても重要な意味を持っています。

そして文楽の主役ともいうべきなのが人形遣い。文字通り人形を太夫の語りに合わせて巧みに操ったり、時に三味線のリードする中で踊ってみたりと様々な動きを舞台上で見せてくれます。

もともとは1つの人形を1人の人形遣いが動かすという形を取っていましたが、文楽で使われる人形は丈が130cmから大きいもので150cm、そして重さは最大10kgと少々重め。そのため、今では大人が3人がかりで動かすのが主流です。

一見すると少々大げさにも見える人形遣いですが、頭の部分である「首」と身体の部分である「胴」で構成された人形を動かすのはなかなかの重労働。そして物語に合わせて細かな動きが要求されるため、3人でないとその繊細な動きができないという面もあります。

人形遣いは主に右手を扱う演者が「主遣い」、屈んで足を持つのが「足遣い」、そして右手で人形の左手を扱うのが「左遣い」とそれぞれ分けられています。その技術の習得は難しく、人形遣いの世界では最も簡単と言われている足遣いでさえ10年、次に簡単とされる左遣いもさらに10年以上の経験を経て一人前と言われるほどです。

人形遣いは太夫や三味線とは異なり、直接演者として出演するわけではなく、あくまで人形のサポート役。そのため、鑑賞の妨げにならないように彼らは「黒衣」と呼ばれる忍者のような黒い衣装を身に着け、さらに顔も隠しています。「黒は見えない色」という日本の伝統芸能の決まりに基づいてのものですが、最近では主遣いに限り顔を出して紋付・袴などを着て人形を扱う「出遣い」と呼ばれるスタイルも増えています。

文楽の歴史は?何が起源?

文楽の歴史は?何が起源?
文楽の歴史を紐解くと、そのルーツは16世紀、日本では安土桃山時代にまでさかのぼることになります。今でこそ太夫、三味線、人形遣いの三位一体が基本ですが、当時はそれがバラバラの状態。現在のような形になったのは100年近く後の17世紀、江戸時代に入ってからのことでした。

そもそも日本には13世紀に誕生した「平家物語」などの物語に独特の節をつけて、琵琶などの演奏をバックにして観客に聴かせるという声楽の系統がありました。この中でもとりわけ人気が高かった演目が「浄瑠璃姫物語」。この演目の名を取り、音楽をバックに弾き語りをするスタイルはやがて浄瑠璃と呼ばれるようになりました。そして江戸時代の初期になると、琉球を経由して広まった三味線が演奏に用いられるようになっていきました。

そんな弾き語りの浄瑠璃と平安時代ごろから放浪芸として人気を博していた人形操りが結びつくのはある種必然とも言えました。このころから始まった浄瑠璃をバックに行われる人形芝居は京(京都)や大阪で人気を博し、やがて江戸(東京)にも伝わっていきました。当時の浄瑠璃は古浄瑠璃と呼ばれ、現在の文楽のベースとなりました。

浄瑠璃に出演する語り手は各地にいましたが、その中で断然の人気を集めていたのが竹本義太夫という人物。登場人物ごとにその声を使い分けられるという広い声域と豊かな声量が最大の特徴で、竹本義太夫が語り手として入っただけでその話はガラッと変わってしまうとまで評されました。

やがて竹本義太夫は所属していた一座から独立し、1684年に大阪の道頓堀に竹本座という劇場を開きます。ここでは武士出身でありながら芸能の世界に足を踏み入れた近松門左衛門が描いた「出世景清」や「曽根崎心中」など、数々の名作が生まれていきました。やがて、語り部の役職は竹本義太夫とイコールになり、いつしか語り部は「太夫」という名に変わっていったのです。

順風満帆に見えた竹本座ですが、1703年にかつての弟子、豊竹若太夫が独立して豊竹座という劇場を開いたことでライバル関係がスタート。竹本義太夫譲りの演技力に加え、高音の美声が人気を集めた豊竹座の演目はいつしか本家である竹本座を脅かすように。一方の竹本座も負けじと工夫を凝らすようになりお互いがより高め合うという関係性に発展。これにより町人たちの間で浄瑠璃の人気は上昇し、いつしか娯楽の最高峰になっていきました。

なぜ、ここまで浄瑠璃が町人たちに受け入れられたかというと、身近に起きた出来事が題材になることが多かったからと言われています。それまでは武士や貴族が主人公になる歴史的な出来事を題材にした「時代物」がほとんど。しかし近松門左衛門が描いた浄瑠璃話は町人を主人公にしたり、市井の出来事を題材にしたりしたため、鑑賞する町人たちにとってはとても身近なものだったのです。

町人や市井の出来事が題材となる物語は「世話物」という分野に当たり、このころに確立していきました。ただし、世話物話のあまりの人気から町人たちの間でマネをする者たちが多く現れました。中でも深刻な問題となったのは実際に大阪で起こった事件を題材にした「曽根崎心中」で、これを見た町人たちの間で心中事件が続出。この状況を憂いた幕府が心中を扱った話の上演を禁止するというほどの流行ぶりでした。

そしてこの時期、人形遣いに変化が見られました。この当時は1つの人形を1人の人形遣いが操るのが主流でしたが、次第に人形のレベルも上がり、目や口、指などが細かく動くようになり、さらにそれまでなかった足まで付いてより人間らしい動きができるように。これではさすがに1人では対応しきれないということで、1734年に竹本座で行われた「芦屋道満大内鑑」で初めて3人で1つの人形を操るという現在のスタイルが確立されました。

こうして人気が高まるにつれて、物語は徐々に複雑なものになっていきます。各話をより劇的にするため、1人の作者が作るのではなく、複数の作者が分担して作っていく「合作」というスタイルを取るところが増えていきました。これにより、文楽の三大名作と呼ばれる「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」が生まれていきました。

17世紀に一世を風靡した浄瑠璃ですが、江戸時代の末期を迎えると劇場から客足が次第に遠のきます。その一方で、町人たちが自ら人形操りや浄瑠璃を楽しむようになっていきました。その中で登場したのが大阪で浄瑠璃の稽古場を開いた上村文楽軒。人形浄瑠璃の興行を始めたところ話題になり、上村文楽軒は明治時代になると「文楽座」を名乗るように。これをキッカケに浄瑠璃は「文楽」と呼ばれるようになり、現在に繋がっていきました。

そんな文楽ですが、浄瑠璃が発展したのとは異なり、新作を作るよりも従来の演目のレベルをより高めていくことに重きが置かれていました。そのため、いつしか文楽は芸能として洗練されていき、新しい座も生まれ、優れた演者が多数登場するという土壌が生まれました。この文楽座は明治、大正、昭和と時代が変わっても生き残り、1945年の東京大空襲に遭うまで興行を続けていきました。

戦火を受けても、文楽は決して絶えることがなく、何と終戦の翌年、1946年には仮設の劇場で興行が再開。その9年後の1955年には国の重要無形文化財に指定されました。そして1966年に東京にオープンした国立劇場、1984年に大阪に開かれた国立文楽劇場を舞台に文楽は演じられるようになりました。

その結果、2003年にはユネスコにより「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」として宣言を受け、2008年には「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載。文楽は名実ともに日本が誇る伝統芸能となりました。

文楽と狂言の違いは?

文楽と狂言の違いは?
文楽と並び称される日本の伝統芸能として知られているのが「狂言」。似たジャンルに思われがちですが、その中身は文楽とは全くの別物と言ってもいいでしょう。

声楽をルーツに持つ文楽とは異なり、狂言のベースにあるものは猿楽。平安時代に成立したこの芸能から滑稽で笑いのある部分のみを抽出し、洗練させた笑劇が狂言になります。もともとは道理に合わない言い分や飾り立てた言葉を意味する仏教用語の「狂言綺語」に由来するもので、猿楽の滑稽なモノマネ芸を指す言葉として定着していきました。

太夫、三味線、人形遣いの三者が力を合わせてひとつの演目を完成させていく文楽同様、狂言も一人でできるものではないのでいくつかの役がありますが、その役は主役に当たる仕手、そして相手役となる挨答の2つだけ。さらに人形が演じる文楽とは異なり、狂言は役者自らが舞台上で演技をするという点でも文楽とは大きく異なります。

また、演目の内容も時代物と世話物に大別できる文楽とは異なり、狂言の種類は大きく分けても本狂言、間狂言、別狂言、そして脇狂言、大名狂言、小名狂言、聟女狂言、鬼山伏狂言、出家座頭狂言、集狂言となんと10種類。これに加えて各流派が存在し、それぞれの流派によって同じ演目でも違う話のように見えるなど個性があふれています。

「日常の中から人間のおかしさを強調して演じる」というのが狂言の特徴で、文楽の世話物に少々似たような感じがしますが、文楽とは違い、三味線を使うことはありません。その代わりに太鼓や小鼓、笛などを使用して舞台を盛り上げていきます。低い太い音で響かせる文楽の三味線とは異なり、太鼓や笛で比較的軽快なリズムを生み出し、笑いを誘っていくところが狂言の魅力とも言えるでしょう。

文楽ってどこで見られる?日本で見られるところはこちら

日本における文楽の劇場は2つのみ。時折、地方公演があるので宿泊先の近くで見るのもいいですが、現地に到着してから近い日程のチケットを買おうとしても売り切れていることがほとんど。確実に見たい場合は以下の2つの劇場をチェックしておくといいでしょう。

「国立文楽劇場」

文楽ってどこで見られる?日本で見られるところはこちら
文楽の総本山ともいうべき劇場が1984年に創設されたここ。もともと文楽のルーツは竹本義太夫と近松門左衛門がタッグを組んだことから始まったため、大阪は日本でも屈指の文楽の街。この国立文楽劇場は日本で4番目となる国立劇場としてオープンして、人形浄瑠璃・文楽が行われることで知られています。

文楽劇場の席数は総数753席を誇る大きな劇場で、文楽の他にも舞踊や邦楽、大衆芸能などの様々な公演が開催されています。外国人向けに文楽の詞などを英訳してくれるイヤホンガイドの用意もあります。

1階にはレストランの「文楽茶寮」、3階には文楽関連の書物が多数用意されている図書館も併設。演目を見終えたら、図書館でさらに文楽について調べてみるのも楽しいでしょう。ちなみに2階にある文楽せんべい本舗では日本のお菓子の代表格であるせんべいも販売されています。

「国立文楽劇場」
●大阪府大阪市中央区日本橋1-12-10
●06-6212-2531
http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html


「国立劇場」

文楽ってどこで見られる?日本で見られるところはこちら2
日本の首都、東京で唯一、文楽を楽しめるのが1966年に創設された国立劇場。文楽だけでなく、歌舞伎や日本舞踊、演劇、そして邦楽や琉球舞踊、日本舞踊、さらに雅楽や声明、民俗芸能なども公演があります。文楽だけでなく様々な伝統芸能が楽しめるのが魅力です。

国立劇場の座席数はとにかく多く、メインの大劇場は3階建てで総数1610席、小劇場でさえも590席もの規模を誇ります。他にもレストランが2階と3階にそれぞれ用意され、さらにおみやげ屋さんも多数出店。他にも小さな子どもを預けられる託児室や国立文学劇場と同様に日本語がわからなくても楽しめるイヤホンガイドが用意されているなど、訪日外国人でも楽しめるようなサービスが満載です。

「国立劇場」
●東京都千代田区隼町4-1
●03-3265-7411
http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu.html

文楽のまとめ

約400年以上前の江戸時代に誕生し、その伝統が受け継がれてきた文楽。その世界の奥深さは見てみないことにはわかりません。日本古来の伝統芸能を堪能して、日本という国の文化をより深く味わいましょう。

※2018年6月8日現在の情報です。詳細は直接お問い合わせの上おでかけ下さい。

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